●第4号(1997/2/25)――【3面】◆菊谷豊彦氏インタビュー(1)
保険薬価削除は高齢者医療に大打撃


●菊谷医院・院長
医学博士
菊谷豊彦先生







line.gif 漢方薬の薬価基準削除問題に警鐘

 医療費の高騰に悩む厚生省は、一部の漢方薬を薬価基準から削除する動きを見せている。
 この動きに対して、漢方薬を扱う医療関係者や企業の間では、抵抗する姿勢を示している。が、一方で、自由診療となれば、「病名漢方」の漢方治療から、本来の漢方医学的治療に戻ることができるのでは、という意見があることも事実。
 慢性病の蔓延、病態の多愁訴化、高齢化社会という現実を考えた場合、漢方医学の重要度が増してくるのは疑いない。これに、薬価基準の問題がどう絡んでくるのか、永年にわたり、漢方専門医の立場として中央薬事審議会などの委員を務め、漢方薬の保険薬価収載にも貢献、漢方医学を広めるのに大きな貢献をした菊谷豊彦氏に聞いた。
(聞き手:太田聡)



●漢方薬が保険診療できなくなるとどうなる
1.医者が漢方薬を使えなくなり、治療に苦慮する
2.臨床研究が大幅に遅れる
3.企業・研究者の漢方薬への関心が低下
 漢方薬が保険診療で使えないと、多くの医者が漢方薬を使わなくなる。少数の漢方医がいたとしても、全体のパイが少なくなれば、研究者や企業の関心も薄れ、結果、研究が大幅に立ち遅れる。たとえ病名治療でも、使われていく内にだんだんと漢方医学に近づいてくる。現に今がそうだ。


●薬価削除に反対するためには
1.保険薬価削除反対の要望書・署名簿を厚生省、衆・参厚生委員会、日本医師会に提出し、記者会見を開く
2.漢方の正道普及に向けた努力を示す
 1983年に、漢方薬を薬価基準から削除しようとする動きがあったときに、日本東洋医学界を中心に、漢方専門医の団結、署名運動、正しい漢方医学知識の普及の努力を行った。結果、薬価基準からの削除を免れ、漢方医学の命脈が保たれた。


 ──本題に入る前に、漢方薬が薬価収載されるまでの経緯についてお聞きしたいのですが。

 菊谷
 昭和40年代は、戦後の高度経済成長にあらゆる意味でひずみが生まれた時代でした。サリドマイドやスモンのような深刻な薬害問題がたびたび発生しました。また、疾病構造に関しても、結核や肺炎など集団罹患する感染症が減少、逆に、公害によるあたらしい病気の発現などが起こり、ストレス性疾患が蔓延するなど、個人個人に対することのできる医療が望まれるようになりました。そうした社会の趨勢に、漢方医学がマッチしていたのです。そこで、各方面の働きかけにより、漢方薬の保険治療による使用が可能となる下地ができたわけです。
 大塚先生(大塚敬節医師=漢方医学の名医、故人)が座長となり、昭和45年に「漢方打合せ会」を設置。翌年に「一般用漢方処方内規」が完成。数少ない漢方医が命脈を保ってきた漢方医学に対する知識を集約し、これが基になって昭和51年、薬価基準収載が実現したわけです。

 ──昭和58年に、一部の漢方薬を薬価基準から削除しようという動きがありました。

 菊谷
 当時の吉村保険局長(後の事務次官)から、一部漢方薬などの薬品を薬価基準から外すという趣旨の発言がありました。当時は今とは情勢が異なり、多くの医者が漢方薬を急に使うようになり、この結果、漢方医学的知識のない医者が、たくさんの漢方薬を使い、乱用といっていい状況になってしまいました。厚生省の話では、一日分として100〜200gの漢方薬を処方していたとのこと。本来は5gぐらいですから、一般の医師は大変な量を誤って使っていたわけです。そこで、漢方医学の指針として「漢方保険診療指針」を日本東洋医学会から出しました。それだけでなく、漢方医学の正しい普及を訴え、署名を集め、メディアを使って薬価削除反対を呼びかけ、また、漢方医学の正確な知識を広めるためにさまざまな活動を厚生省に対して示し、事実、漢方医学の普及に努めました。
 現在は、漢方医学的知識を兼ね備えた医者が増え、状況が好転しているハズなのですが、当時のような動きがなかなか出てこないのは嘆かわしいことです。

 ──漢方薬が保険治療できなくなると、どういうことになるのでしょうか。

 菊谷
 さまざまあるのですが、第1に21世紀の高齢者医療に未来はない、ということは断言できます。高齢者の病態は、多愁訴、多病変を呈しています。これらはそれぞれの疾患に対して治療すればよいのではなく、弱っている身体を立て直す作業が必要です。そもそも西洋近代医学には「補う」という発想がなく、これでは高齢者を病苦から救えません。
 第2に、治療法の確立していない疾病があげられます。近代医学では、特定の症状を呈する患者が増加してきてからはじめて問題になり、病態を解明し、治療法を見つけ、薬品の試験を行い、臨床試験を経て治療が開始されます。この間10年、20年という歳月がかかるわけです。いずれ画期的治療法が見つかるにしても、この間、患者の病態が悪化していくのを見ているしかありません。しかも、治療法が確立されていない病気というのは決して少なくなく、しかも、増え続けているのです。

 ──薬価基準からの削除の動きに対するため、どのようなことをしていくお考えですか。

 菊谷
 とにかく声をあげるということです。メディアを使ったり、さまざまな場所で漢方医学の必要性を訴えていくことが必要です。私は今現在、第一線を離れていますので、(日本東洋医学会などの)関係団体で、もっと大きい運動を起こしていくことを期待したいと思います。
 漢方薬が薬価収載されると、病名漢方となり、漢方医学の本道から外れるという批判は、51年当時からありました。しかし、保険診療ができてこそ、多くの医療機関で実践され、製薬会社で薬品が生産され、研究も進みます。
 私は、漢方の最初の入り口が「病名漢方」でもいいと考えています。そこからスタートしても、患者の状態をみて薬を変方し、しばらく様子を見て、さらに変方を試み、最終的に最も合う漢方薬を決定していくプロセスさえ経れば、それが本来の漢方における治療となるです。ですから、使われなければ話になりません。たまたま漢方医学の名医に当たらなければ、本当の漢方的治療が受けられないというのではいけないのです。漢方製剤が薬価収載から外れれば、多くの医者が漢方薬を使うチャンスが減り、漢方医学への入り口が閉ざされ、結果として漢方医学の後退になると、私は考えています。







菊谷豊彦先生・プロフィール
1933年生まれ。
1959年 東京大学医学部卒。
1960年 東京大学医学部付属病院物療内科入局(〜1961年)。
1962年 国立伊東温泉病院内科勤務(〜1973年)。
1963年 東京大学医学部付属病院物療内科文部教官助手(〜1967年)。
    社団法人東京都教職員互助会三楽病院内科医長(〜1972年)。
1965年 東京大学医学部付属病院物療内科研究生(〜1967年)。
1967年 東京大学で医学博士の学位を授与。
1971年 中央薬事審議会臨時委員(〜1986年)。
1973年 菊谷医院開業。
1981年 昭和大学薬学部兼任講師(〜1996年)。
1984年 社会保険診療報酬請求書特別審査委員会委員(〜1996年)。
1985年 国民健康保険診療報酬特別審査委員会委員(〜1996年)。
1985年 和漢医薬学会評議員(〜現在)。
1985年 神奈川県国民健康保険診療報酬審査委員会委員(〜現在)。
1988年 中央薬事審議会臨時委員(〜現在)。
1991年 漢方エキス製剤の臨床再評価方法に関する研究班班員(〜1994年)。
1994年 東京大学内科総合外来担当(〜1996年)。
1991年 社団法人日本東洋医学会評議員、認定医、指導医(〜現在)。

 漢方専門医として、治療、臨床研究を続ける一方、学会活動を通じて漢方医学の普及に貢献した。
 1983年には「漢方保険診療指針」(日本東洋医学会)の編集責任者として活動。
 各種保険審査委員会委員を歴任し、漢方の保険診療の適正化に尽力した。
 著書多数、メディアにも積極的に登場し、漢方医学の普及に努めた。
 これらの功績を受けて、1996年11月、日本医師会より「最高優功賞」の授与を受ける。





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