日本国際飢餓対策機構
『飢餓対策ニュース』第80号・1997年01月・より転載

「世界の食糧問題を考える」作文コンテスト
(応募総数225作品)
最優秀賞

尚絅女学院高等学校3年生
深見祥子さん



「先進国に住む私たちの心の飢餓が世界の飢餓をつくり出している。」マザー・テレサ

 この言葉の意味はいったいどういうことだろうか。「私たちのぜいたく」でも「私たちの非協力的な態度」でもなく、「私たちの心の飢餓」が世界各地で起こっている飢餓の原因だというのだ。おそらく「心の飢餓」とはそれひとつで「ぜいたく」も「非協力的な態度」も、さらに私たちの飢餓へ対する関心のなさ、乏しい知識なども含めた言葉なのだろうと思う。「心の飢餓」つまり自己中心な私たちが世界の飢餓をつくり出しているのだ。原因である私たちが飢餓をなくそうと様々な活動をくり返しているのはなんだかこっけいな気もするが、言い換えれば原因である私たちしか飢餓をなくすことはできないのだと身のひきしまる思いがする。

 しかし、この言葉を聞いても、また、2秒に1人が死んでいくという飢餓の現状を知っても、それらは確かに私に大きなショックを与え、心に深くひびいたはずなのに私の生活は以前と変わらなかった。おそらく、一緒にそれらの話を聞いた学友たちも同様だろうと思う。どうしても本当に自分の問題として考えられないのだ。頭でわかっていても問題を近くに感じられないのは何故だろうか。

幼い頃、好き嫌いを言うと母から、「別の国には、ご飯がなくて困っている人がたくさんいるのよ。」とよく言われていたが、その頃から私が食べても食べなくてもその人たちが助かるわけではないじゃないかと思っていた。1人の子どもがちょっとぐらい何かやったって、何も変わるわけがないと思っていた時期である。そしてつい最近までそんな考えを私はもち続けていたのだと思う。しかし、この間出会ったある一冊の本によって、私は私の意識を変えられたことをはっきりと感じた。

 「飢えるアフリカ」というその本には、悲惨な飢餓の現状が具体的な事柄を例に挙げながら書かれていて、想像を絶するような初めて知るそれは私を驚かせたが、それ以上に私を動かしたのは、アフリカの飢餓を知ってすぐに行動を起こした日本の人たちのことや、先進諸国で組織されている民間グループのことが書かれた章だった。日本の人たちの起こした行動は、本当に小さなもので何の役にも立たなそうに見えるが、それらは明らかに彼らの心の奥からわき上がってきたものであることが感じられた。それまで自分が何かやっても何にもならないと思っていた私は、そんな自分が恥ずかしくて、くやしくてしかたがなくなった。一見、何の役にも立たなそうなそれらの行動は、その本を通して今、確実に私という1人の人間をその活動の輪の中に引きずり込んでいったのだ。そうして、もはや小さな行動とは言えない大きな力になりつつあるのではないかと思う。

 何をやっても意味がない、私たちは何もできないと思っていたが、本当はやろうと思ったことは何でもできるのだということに気づかされた私は、私なりに考えて、助けを必要としている地球の仲間のことをできるだけ長い時間考えていようと、手のひらに麦のマークを書くことを思いついた。絶対忘れてはいけないことがある時、手のひらの親指のつけ根あたりにメモをすることがある。それと同じように日本国際飢餓対策機構のマークにある麦の絵を描いておくのだ。それを見る度、今も苦しんでいる仲間を思えば財的協力のために食事や小遣いを節約することも苦ではなくなると思う。もちろんそれだけで十分だとは思わない。あまりにも豊かすぎる国で育ち、あり余る食糧にかこまれている私たちが、「飢餓」と聞いて自分の身におきかえて考えることは困難である。その溝をうめるためにも私たちには学習が必要であると感じている。先駆的な欧州に比べ、動きの鈍い経済大国日本の未来を担う私たちは特にそれが必要である。飢餓を地球全体にひろがらせないためにも、国際社会が全力をあげる時が来ているからである。
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