

私が1996年7月にインターネットで「健康新聞」を発信してから早2年以上の歳月が流れました。
私は、企業利益優先ではなく、自分が本当に困ったときに頼りとできる「本物の健康情報」の発信を実現するため、1994年に脱サラし単身で健康新聞社を創設。一般市民の健康生活に必要最低限の情報を厳選選別して、「市民の生活に重大な影響のあるもの」を追求し続けていました。
しかし、「理想じゃ飯が食えない」のが現実でした。
1996年7月、当時、我が家は、一家5人の生活費もままならぬ状況で、他の内職の仕事でかろうじて食いつないでいました。そんなときに、O−157事件が勃発。連日のように死者が出る。それも幼児やお年寄りばかりが犠牲になって・・・。解決方法も見つからず、国も自治体も医療機関も右往左往・・・。3人の子どもを持つ親としては、他人事ではありません。私は、「こんな時にこそ、何か役に立てることができるはずだ」「いや、こんな時に何もできないなら健康新聞社の看板なんて嘘つきだ」と強烈な自己批判をしていました。
というのも、その時点で「生活費のために内職」を早急にやらないと、一家5人が路頭に迷うかもしれない・・・というギリギリの所まで追い込まれていたからです。私は、コンピューターを前にして、迷いました。
・・・いまここで、「一家5人の生活費のために内職」をやるか、「日本全国の子どもたちのために緊急情報発信」をやるか、2つに1つ。・・・直感的に私の身体は後者を選んでいました。でも、心は「自分の家族も守れないで何が人助けだ」と叫ぶのです。もちろん、それが「当たり前」の判断だということはわかっていましたので、私は、困り果ててしまいました。そして、さんざん悩んだ末に、「やっぱり理想じゃ飯は食えない」と、内職を選ぶことにしたのです。
そして、コンピュータに向かって、力無く内職を始めたとき、私は、敗北感でいっぱいになりました。「一体何のためにわざわざ苦労して脱サラしたのだ」・・・。この悔しさは、ここで言葉で言い表せるものではありません。・・・「ついに、脱サラの夢は夢で終わったのだ」・・・と、あきらめた瞬間です。突然、「フワッ」とフッ切れて、肩の力が抜けてきました。そして、どうしたことでしょう。本来の私がよみがえってきたのです。負けず嫌いで、意地っ張りで、頑固で、あとさき考えずに突っ走る、そんな、どうしようもない自分が戻ってきたのです。
「家族を生かしても、自分が自分じゃなくなったのなら、何にもならない。そんな腑抜けの自分は見たくもないし、大嫌いだ。それにまだ家族を路頭に迷わせたわけではない」と、常識的な心に真っ向から反発。本能のままの自分が、ついに、「我が道」を選んでしまいました。
その後の私は、まさに、水を得た魚です。
当時のインターネットでのO-157情報をしらみつぶしに見て取り、5大新聞の関連記事を全文熟読し、それらをもとにしながら、「現時点の正確な状況」「最良の治療法」「予防法」「解決のためのヒント」などを徹底的に分析。有効な情報のみを厳選選別しながら再編集をはかりました。とにかく、一刻を争う状態でしたから、およそ3日3晩はほとんど眠りもせずに、コンピュータと向かい合っていました。最後は、キーボードをたたきながら眠ってしまい、初めて「そうだ寝なくちゃ」と、倒れるように爆睡したことを、いまでも鮮明に記憶しています。
このときに創りあげたのが、『O157』総合リンク集です。本当は、すべての情報をもとにして、自分自身で原稿を書いて、情報発信するつもりでした。ところが、事態が刻一刻と変化し、一日のうち何回も情報を更新しているページがあちこちにあって、私が全部読んでまとめ直していたのでは追いつきません。「そうだ、いっそのこと、みんなの貴重な情報をそのままの状態で再編集したらどうだろうか」と思いつきました。そして、大切なのは「その情報の信頼度を見極めること」と「いかに利用しやすいように再編集するか」でした。
「どうせやるなら、日本一わかりやすい、日本一使いやすい、日本一有効に利用できるものを必ず創る」と決めました。
悩んで悩んで全てを捨て切ったうえでの行動です。自分で言うのも何ですが、「火事場の馬鹿力」とでもいうのでしょうか。持っている力の2倍も3倍も、出し切ったように思います。
完全に無償奉仕でしたので、大勢の方々から協力を得ることができました。数多くの励ましのメールもいただき、その「充実感」は、生涯忘れることができません。お金は失ったけれど、得たものの大きさは、測りしれないものでした。
共同通信社からの取材がキッカケで、NHKや民放テレビ局からも取材を受け、京都新聞では記事に取り上げられました。1日のアクセス数が2000〜3000件という驚くべき反響に、「ああ、やってよかった」とつくづく思ったものです。
しかし、どんなにすごい反響で、社会的に必要とされるリンク集を創り上げても、その結果、お金が一銭も稼げないのです。「このままではまずい」・・・とは思いながらも、毎日毎日、メールの山です。とても重要な最新情報が集まるようになって、まるでO-157情報の中央管制塔の役割でした。もう、やめるにやめられない。でも生活費がない。・・・それはもう、「うれしい限りの悲鳴」ではなく、「うれしいギリギリの悲鳴」とでも言うのでしょうか・・・
そんな私の状態をいち早く察して、救ってくれたのが、ダイヤモンド社の坂本正治さんです。1996年8月、「O-157情報発信についての特集を組む」ということで、私は坂本さんから訪問取材を受けました。その際に、「このままでは餓死してしまいますよ」と、即座に緊急避難的な就職先を紹介して下さったのです。その結果、「漢方医学新聞」という紙媒体を制作する仕事を請負うことになり、生活費が捻出できるようになりました。ときは1996年9月上旬。まさに、墜落寸前の絶体絶命状態から、奇跡的に海面ギリギリに飛行機を立て直した、という感じです。
それからの生活は、毎日がダブルヘッダーでした。朝昼夕方は「漢方医学新聞」、夜と休日はインターネットの「健康新聞」。超多忙にはなりましたが、昼の仕事で家族が養えましたから、無償奉仕の「健康新聞」は、まさに私の思い通りに継続することができるようになったのです。坂本さんと出会わなければ、一体、どうなっていたことやら・・・。本当に坂本さん、どうもありがとうございました。
しかし世の中そう甘くはありません。10カ月後の1997年7月、「漢方医学新聞」の依頼元の会社が、業績悪化し、傾きかけてきたのです。8月からは入金が完全ストップし、「漢方医学新聞」の出版経費も払えない状態になりました。そして、1997年12月、ついに「漢方医学新聞」の依頼元会社が倒産。またまた墜落に向けてまっしぐらに急降下してしまったのです。
その後は、借金と内職の連続です。どこをどう歩いてきたのか、いま現在、「健康新聞」がちゃんと継続できていること自体が、奇跡のようです。3年前から手がけた「秩父の有機栽培実験農場」も継続していますし、弊社の看板でもある「200字よむだけ健康News」も健在。それどころか、『O157』総合リンク集のノウハウを活用して作成した『アレルギー疾患』総合リンク集、有機栽培こだわりリンク集、『薬害予防』総合リンク集、『漢方・東洋医学』総合リンク集、『地球温暖化・防止』総合リンク集、『環境ホルモン』総合リンク集などなど、・・・それはもう、「執念」を通り越して、「遺言」のごとく継続し続けています。
もちろん、自殺する気は、さらさらありませんが、「いつダメになっても後悔しない」とハッキリ言えるほど、残された力以上の力を注いで運営しています。不思議なもので、これらのリンク集のほとんどが、雑誌や新聞で記事として取り上げられました。素直に感謝するとともに、とてもうれしく思っています。
いやぁ、ごめんなさい。前置きがムチャクチャ長くなってしまいました。ここから、本題に入ります。
私はいま、これまでの経験から培った情報発信ノウハウを大勢の人に伝達することが出来れば、理想的な「情報網」をつくることができると、確信しています。というのも、こんな私が、たった一人でここまでやってこられたからです。私は、「ちょっとの覚悟」と「ねばり」と「のんきさ」があったおかげで、「楽しく」しかも「生涯の生きがい」としての仕事を見つけることができました。
私は、一人の「情報発信記者」として、数多くのテーマの社会問題解決を目指して、実際に「情報発信」を続けています。そして、これから末永く取り組んでいきたい「テーマ・問題」の切り口(案)をここに見出しました。
そして、「大勢の心ある方々が、仕事として、実際の情報発信を手がけてもらえるようになったらなぁ」と夢のようなことを考えています。例えば、Aさんに月々の経費と人件費を支払って『オゾン層破壊防止・総合リンク集』を制作運営維持してもらう。Bさんには『太陽光発電推進・総合リンク集』を。Cさんには『糖尿病克服・総合リンク集』を・・・といった具合です。(上↑概念図)
もしこれが実現できたならば、現在のインターネット情報が飛躍的に有効利用できるようになります。厳選された「市民のための本物情報」が縦横に結びつき、社会問題解決のための大いなるヒントとなっていくことでしょう。
私は、いつの日か、必ず、この構想を実現するつもりです。たとえどんなに大きな難題にぶつかろうとも・・・。・・・その難題を真正面から受け止め、ひとつひとつ乗り越えていきます。
なんだか、私の業績の自慢話のような形になってしまいましたが・・・「なんと思われてもいい。とにかく、1日でも早く『インターネット高度信頼情報網』を構築し、正直者がバカをみない世の中をつくりたい」と切に思うのです。
貴重なお時間の中、お読みいただき、どうもありがとうございました。
1999年1月11日株式会社健康新聞社情報発信記者 中村 ひとし
『インターネット高度信頼情報網』で末永く取り組みたい「テーマ・問題」(案)
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1 子孫維持 |
(1)人口問題 |
・人口増加 ・大都市集中 ・少子高齢過疎化 |
→『人口問題解決』総合リンク集 |
| (2)食料問題 | ・飢餓 | →『飢餓解消』総合リンク集 | ・水不足 | →『水不足解消』総合リンク集 | ・安全食品 |
→有機栽培こだわりリンク集 →『遺伝子組み換え食品表示』総合リンク集 →『添加物表示』総合リンク集 |
| (3)環境問題 | ・環境ホルモン | →『環境ホルモン』総合リンク集 | ・地球温暖化 | →『地球温暖化防止』総合リンク集 | ・オゾン層破壊 | →『オゾン層破壊防止』総合リンク集 | ・森林破壊 | →『森林破壊防止』総合リンク集 | ・土壌汚染 | →『土壌汚染防止』総合リンク集 | ・大気汚染 | →『大気汚染防止』総合リンク集 | ・海洋汚染 | →『海洋汚染防止』総合リンク集 | ・地下水汚染 | →『地下水汚染防止』総合リンク集 |
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2 病気克服 (予防) 事故防止 |
(1)がん |
・闘病方法選択のための情報 ・予防方法 |
→『がん克服(予防)』総合リンク集 |
| (2)ぼけ |
・ぼけ予防 ・ぼけ解消方法 |
→『ぼけ予防』総合リンク集 | |
| (3)生活習慣病 | ・糖尿病 | →『糖尿病克服(予防)』総合リンク集 | ・高血圧 | →『高血圧』総合リンク集 | ・高脂血症 | →『高脂血症』総合リンク集 | ・肥満 | →『肥満解消』総合リンク集 |
| (4)感染症 | ・エイズ | →『エイズ克服(予防)』総合リンク集 | ・O-157 | →『O157』総合リンク集 | ・結核 | →『結核撲滅(予防)』総合リンク集 | ・インフルエンザ | →『インフルエンザ対策』総合リンク集 | ・その他 | →『水虫撃退』総合リンク集 |
| (5)難病 | ・各種難病 | →『難病克服』総合リンク集 | |
| (6)アレルギー疾患 |
・アトピー性皮膚炎 ・ぜんそく ・花粉症 ・シックハウス症候群 |
→『アレルギー疾患』総合リンク集 | |
| (7)ストレス性疾患 |
・胃潰瘍 ・十二指腸潰瘍 ・精神疾患 ・自殺 |
→『ストレス性疾患』総合リンク集 | |
| (8)医学体系 | ・西洋医学 | →『近代医学』総合リンク集 | ・伝統医学 ・統合医学 | →『漢方・東洋医学』総合リンク集 |
| (9)医療最前線 | ・薬害予防 | →『薬害予防』総合リンク集 | ・インフォームドコンセント | →『インフォームドコンセント推進』総合リンク集 | ・セカンドオピニオン | →『セカンドオピニオン推進』総合リンク集 | ・チーム医療 | →『チーム医療推進』総合リンク集 | ・遠隔医療 | →『遠隔医療推進』総合リンク集 | ・電子カルテ | →『電子カルテ推進』総合リンク集 |
| (10)生活危険回避 | ・交通事故 | →『交通事故防止』総合リンク集 |
・火事 ・誤飲 ・その他日常生活事故 | →『生活事故防止』総合リンク集 |
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3 人生の 質的向上 |
(1)リサイクル |
・太陽光発電 ・雨水利用 ・生ゴミ堆肥化 ・フリーマーケット |
→『リサイクル推進』総合リンク集 |
| (2)教育 |
・幼児 ・少年 ・青年 ・社会人 |
→『人間教育』総合リンク集 | |
| (3)住宅 |
・省エネ ・省化学物質 ・自然共生 |
→『健康住宅』総合リンク集 | |
| (4)生きがい創出 |
・ボランティア ・ベテラン市民大学 ・勉強 ・仲間 ・仕事 ・SOHO ・趣味 |
→『求人、就職、雇用促進』総合リンク集 →『生きがい創出』総合リンク集 |
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| (5)大往生 |
・心 ・身体 ・環境 |
→『大往生』総合リンク集 →『マザー・テレサ』追悼リンク集 |
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